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【アニメ】映画『心が叫びたがってるんだ。』感想

 初のアニメ単独記事。いつかこういうのも書いてみたかったとは思っていたのですがなかなか書き切れず、ようやく自分でも何とか扱えそうな作品と出会えたので一つ書いてみようかなということで。

 以下ネタバレ注意。




 アニメ映画『心が叫びたがってるんだ。』。音楽を劇中に組み込んだ作品を好きになってから、音楽と映像の融合に魅力を覚えることが多かったというのもあり、ミュージカルと聞いて興味が湧いたため観に行きました。泣ける映画だとかあの花コラボだとかでどうも感動ゴリ押し色の強い宣伝ですが、実際はというと絶対感動ポイントみたいな箇所が用意されてるというよりは、むしろそういった要素は抑え気味で一歩ずつ丁寧に必要なプロセスを踏んでストーリーが構築されているという印象。

 自分がこの作品に引き込まれた最大の要因はやはり音楽の使い方でしょうか。心の内に秘めた本音をありのままに吐き出せる歌は、なかなか言葉にできない想いを持っている登場人物たちの問題に切り込むにあたって効果的で、更に2曲の重ね合わせという歌の使い方そのものがこのテーマを纏め上げている構成が実に美しいと感じました。
 言葉を話せない少女を中心として展開される青春群像劇ということで内容自体は分かりやすいですが、想いを上手く伝えられずもどかしさを覚えるという描写も多く、言葉以上に映像による感情表現も魅力的。表情を直接的に映さなかったり、映しても心の揺れを捉えたかのような何とも絶妙な表情をしてたり、とかは何気なく多かったかと思います。こういった映像表現も逆説的に言葉の不器用さを表しているように見えました。
 成瀬順が言葉を話せなくなった原因は、自分のおしゃべりによって起こった幼少期の家庭崩壊。言葉は誰かを傷つけることを経験し、空想上の玉子に言葉を封印され呪いをかけられますが、坂上との出会いにより歌で自分の気持ちを伝えようと奮闘します。ちょっと話がズレますが、この冒頭、単純明快なのに妙なほど作品世界に引き込んできて物凄いパワーありますよね。
 歌に呪いの効果がなかった理由はいろいろ考えられますが、設定的には他の誰でもなく坂上に歌を薦められたのが大きかったのかなって思ってます。玉子による言葉の封印もその呪いも、言ってしまえば成瀬自身の妄想、つまり思い込みですし、「好意を持っている坂上君に歌ってみるのも悪くないと言われたから」という思い込みで歌っても痛くないのは筋が通ってるかなと。
 もうちょっと踏み込むなら、作中でも言及されてたように、恥ずかしい気持ちなども歌詞に押し込めると伝え易くなる、という話。ちょっとした言葉のニュアンスで誰かを傷つけているかもしれない、あるいは嘘っぽいことを言ってしまったけど自分すらも騙して誤魔化した、言葉を使うときのそういった躊躇や罪悪感。こういう「痛み」を緩和するのが歌なのですよね。

 で、呪いに怯えて誰かと関わろうとしていなかった成瀬順を突き動かしたはずの坂上拓実も、家庭事情で両親の衝突を間近で見てきたために意見衝突を無意識に避けようとしてしまい、本音を吐き出すことをしなくなった。家族問題が契機になって本音を表に出せない点では成瀬と共通点があるわけだけど、それを相手に伝えたいという意思があるかどうかという点で見れば正反対の立ち位置になっています。
 仁藤菜月は、不意の一言で当時付き合っていた坂上を傷つけてしまった過去を持つために、言葉の力を恐れているというキャラクター。坂上が塞ぎこんでいた時期と重なったこともあって、それ以来坂上とは話さなくなっていきましたが、「言葉にすると関係が終わってしまいそう」と、そのことについても曖昧なまま放置しているという状況。
 田崎大樹は、野球部所属のエースだったが試合中のケガでやりきれない思いを棘のある言葉で発散します。野球一筋で一直線に進んできたために、立ち止まることになってしまっても周りを見ることができず、想いはすれ違うばかりで、そんな有様だった田崎を変えたのが、想いを伝えることに直向きな成瀬の姿。役立たずで実行委員の足を引っ張るように思えた成瀬が歌った瞬間、田崎は目を見開いて驚き、実際に何もできていない自分を見つめ直す過程を経て、周りを知る。
 こうした登場人物たちの言葉の悩みが交錯して、言葉とどう向き合ったらいいの?っていうテーマを描いていくのが本作です。
想いを伝える難しさは随所で表現されていて、言葉をほぼ歌の中でしか使えない成瀬は勿論、本音を隠す癖がついていた坂上もそうだし、坂上との複雑な関係のまま今に至る仁藤もやりにくさは言葉や表情の端々からも見て取れて、田崎なんかは言葉の使い方からして不器用だからモロですよね。言おうとしても言えない、そんなもどかしさが生々しく描写されていたと思います。だからこそ、先程も触れたように、そのままの気持ちを表現できる歌が本作において重要なファクターになっているわけです。

 そして、想いを伝えられること、誰かを傷つけること、そんな言葉の力の二面性への解答に昇華させたのが終幕へ向かうシークエンス。ミュージカルの本番前日、坂上と仁藤の会話を成瀬が聞いて失恋し脱走、本番当日の数時間前になっても見つからないという状況になってしまいます。逃げ出した成瀬がいたのは既に潰れているラブホテル、太陽と月の模様(これもまたウラオモテの表現でしょうか)のステンドグラスの窓から差し込む光で仄かに明るい一室。舞踏会が行われるお城だと夢想したこの場所が廃墟となっているのは、まるで成瀬の夢物語が砕かれたことを暗示しているかのよう。「もう歌えない」というのも、失恋によって成瀬にとっての王子は消滅し、本来は伝えたいことをストレートに伝えられる媒体であったはずの歌が、今の自分の想いと異なる意味になってしまったためでしょう。ここで流れるミュージカル曲が状況とシンクロしているのがまた巧い。
 ここで成瀬の「おしゃべりのせい」を「おしゃべりのおかげ」へと反転させる展開から、成瀬の告白を引き出し、それを断ることで成瀬の夢物語からの脱出へと導く流れも、成瀬順という可愛らしくも一所懸命なキャラクターに入れ込んでいた自分としてはなかなか辛い心境でしたが、実に素晴らしかった。成瀬自身が呪い、人を傷つけてきた言葉すらも「成瀬の言葉で嬉しくなったから」と肯定するわけですが、成瀬が必死に絞り出した罵倒の言葉は好きの裏返しになっていますし、言葉を発せない成瀬の頑張りを傍で見て応援してきた坂上にとっては、どんな言葉であろうとも感情を言葉で表現できているというのは努力が実ったということに他ならないのですよね。その上、一見伝えたい心の内を何も持たないように見えた成瀬が、実際には誰よりも叫びたがっていたことを知った坂上は、長らく持っていないと思い込んでいた誰かに伝えたい本音を自分も持っていたのではないか、ということにも気付かされるのですから、嬉しさを覚えると同時にこのことを教えてくれた成瀬に感謝したのでしょう。そして、坂上が王子様でないと知りながらも自分の言葉で告白し想いを伝える成瀬、それを受け止め自己を見つめ直した上で本当の気持ちを返す坂上。互いの気持ちを正直にぶつけ合い御伽話を振り切って、成瀬は幼少期から続く夢想癖を克服し、自分の言葉と向き合える大人のスタートラインに生まれ孵ったわけです。
 あこがれの舞踏会という子供に届かない場であっただけでなく、自身が大人への一歩を踏み出す成長の場として、ラブホテルという舞台装置があまりにも嵌り過ぎている。なんだこれ。

 成瀬が戻った後のミュージカルは担任の提案で本来仁藤が演じるはずだった少女の心の声を担当することになりますが、水瀬いのりさんの歌声がまた素晴らしい。強く真っ直ぐに歌い上げられる『わたしの声』は、成瀬の母親に突き刺さり、言葉を失った少女に対しての責任を感じさせる。普段の会話では話しづらいことであっても、躊躇なく言葉として発せられる歌の力をハッキリ感じられるパートでした。
 そして、配役交代により「手も繋いだことない」王子役の坂上と少女役の仁藤が手を繋ぐ玉子の歌、続いて玉子から孵って成長し世界の美しさを目の当たりにする成瀬が描写され、ミュージカルのクライマックスを飾るのはクロスメロディ。『Over The Rainbow』『悲愴』の2曲が同時に鳴らされるこの瞬間は圧巻の一言に尽きます。
 「口に出さなきゃ伝わらない」「言葉は人を傷つける」という言葉の二面性を基軸とした葛藤を描いてきた本作品の主人公である成瀬順は、これまで卵の殻を破ることによって様々な感情を持つ言葉のカオスに飲み込まれる、いわば自己のスクランブルエッグ化を恐れていたわけですが、坂上拓実に人を傷つける言葉を肯定され、そしてここで言葉の二つの側面があるからこそ美しいと訴えるかのように、この2曲は素晴らしいハーモニーを奏でます。異なるメロディが噛み合い、歌詞が相乗的に力強くなる。「こころ」「あなた」の歌い出しや、それぞれの「愛してる」が連続で発せられる歌詞構成には特に鳥肌でした。成瀬順の言葉を巡る物語において、混沌から調和への昇華を最後の最後で歌の圧倒的な説得力を以て表現したこのシークエンスは何度観ても堪らない。
『悲愴』を歌うのが当初の予定とは異なる成瀬というのもまた心を揺さぶられます。『Over The Rainbow』は、元々バッドエンド風味だった物語をハッピーエンドに変更したときに組み込んだ曲。そして、これは成瀬が夢想した少女としての声であり、悲しみを背負った王子に自らが伝えたい恋愛感情だったわけですが、この直前に告白してフラれたことによってお姫様になることは叶わず、代わりに仁藤がこれを歌うという逆転劇。それ故、『悲愴』のメロディを歌いながら天を仰ぎ涙を流すのですね。
 しかしそれでも笑顔で「すべてを愛してる」と歌うことができたのは、自分の我が儘に乗っかってしゃべれない自分を受け入れてくれて、一度は逃げ出したことも許してくれた「みんなのおかげ」だからなのでしょう。
 これを伝えることで成瀬の母親もまた涙します。『わたしの声』で声が消えたことを歌い、成瀬の母は自らの業を知りました。そしてこのラストで、多くの友達と、笑顔で、「すべてを愛してる、あなたがくれたこの世界を」と歌い上げることで、罪悪感に苛まれた母親を救うという構成になっている。玉子の外の世界を教えてくれた坂上を始めとするクラスのみんなだけでなく、自分を産んでくれた母への感謝の歌にもなっていたというわけです。
 これほどのドラマを歌詞とメロディと映像に込めて爆発させたこの一瞬だけでも、この映画の価値を確信してしまいました。まさに奇跡の作劇。
 「だって、ミュージカルには奇跡がつきモンだろ?」という先生の台詞は、誰かに想いを伝えることを諦めない勇気と一所懸命の結晶が奇跡なのだと。観る度に唸らされました。

 いろんな人がいて、それだけいろんな言葉があって、だから世界は美しい。群像劇である必然性はまさにこのメッセージにあるわけですが、このフレーズにあっさり納得を覚えてしまうほどの本作の歌のパワーと物語構成には脱帽です。出会えてよかった。


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Author:rimo
TGAでポケモンやってます。主にダブルで、他にはローテーションやシングルなど。アニメの話もするかも。

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